精神科への転職は逃げじゃないか——急性期で壊れかけた看護師が今思うこと
急性期を辞めたいと思うたび、心の中で自分を責めていました。
「これは逃げじゃないか」と。
急性期で消耗しきっていた自分が、精神科というゆったりした環境に逃げ込もうとしているだけじゃないか。看護師として、それでいいのか。そんな問いが、ずっと頭の片隅にありました。
転職して数年が経った今、思います。
ぬるま湯で何が悪い、と。
精神科に来た最初の朝
精神科に転職して、初めて日勤に入った朝のことを覚えています。
急性期病院で働いていたころ、ナースステーションに入ると最初に耳に入ってくるのはモニターの音でした。複数台が同時に鳴っている。その音の中に、重症患者さんの存在があり、死期が近い患者さんの存在がありました。張り詰めた空気が、そこにはありました。
精神科のナースステーションに入ると、特に音はありませんでした。早く来た日勤スタッフと夜勤スタッフが話している声。ナースステーションのそばの食堂から、食後にテレビをゆっくり見ている患者さんの姿が見えました。
同じ「病院の朝」なのに、空気がまるで違いました。
ほっとする間も、後ろめたく思う間もなく、ただ戸惑いました。それが正直なところです。
「看護師として、これでいいのか」という焦り
最初の数ヶ月は、新しい環境を覚えるのに精一杯でした。プリセプターの先輩について仕事を覚え、日勤帯で独り立ちし、早出・遅出が始まり、4ヶ月目から夜勤が始まりました。それと並行して日勤リーダーも務めるようになりました。
覚えることはそれなりに多く、失敗もしました。精神科は初めてでしたから、当然です。
ただ、明らかに「ラク」でした。
あの、目の回るような急性期の忙しさはない。救急車のサイレンに怯えなくていい。看護技術の出番も少ない。しばらくすると、じわじわと焦りが出てきました。
「看護師として、これでいいのか」
「ここにずっといたら、一般科にはもう戻れないのではないか」
その焦りが一番強かったのは、入職して半年から1年の間だったと思います。
ただ、私の場合は転職の目的がはっきりしていました。子どもや家族との時間を確保すること。その目的は転職直後から達成されていたので、焦りはあっても致命的にはなりませんでした。もし漠然と転職していたなら、もっと苦しかったと思います。
転機は、得意分野だった
焦りが和らいだのは、最初の担当患者さんがきっかけでした。
認知症の患者さんでした。はっきり言って、得意分野です。介護福祉士として老健で6年働いた経験がある。その知識と技術が、そのまま活きました。
いろいろなハードルはありましたが、最終的に元の施設に戻っていただくことができました。上司からも評価してもらえました。
「自分の経験が、ここでも活きる」
その確信が生まれたとき、焦りは少しずつ薄れていきました。
精神科の面白さを教えてくれた患者さん
1年が過ぎるころには、様々な患者さんを受け持つようになっていました。統合失調症、双極性障害、うつ病、パーソナリティ障害、発達障害——それぞれへの対処の経験値が積み上がり、困ることが少なくなってきました。
そして、精神科の「面白さ」を実感した患者さんがいます。
50代の男性でした。脳梗塞の後遺症で片麻痺があり、高次脳機能障害で感情のコントロールが難しい状態でした。ベースにASDもありました。前の病院では看護師への暴言・食器を投げるなどの行為があり、在宅ではヘルパー事業所からも断られていました。家族とも疎遠で、身寄りがない状態で当院に来られました。
正直、厄介な患者さんだと思いました。看護師の間でも敬遠されていました。
風向きが変わったのは、入浴介助がきっかけでした。
シャワー浴で済ませようとしていたところを、私は介護の技術を使って浴槽に入ってもらいました。湯船に浸かった彼は、本当に喜んでくれました。何年かぶりのお風呂だったそうです。
それから彼は私に話をしてくれるようになりました。体が思い通りにならない苛立ち。家族との関係がうまくいっていないこと。ヘルパーさんへの不満——理不尽に聞こえる部分もありましたが、彼なりに筋の通っているところもありました。
コミュニケーションがうまく取れなかっただけだ、と感じました。それを解きほぐせれば、何とかなるかもしれない。そんな光が差した瞬間でした。
退院に向けた話し合いが何度も設けられました。保健師、地域包括支援センターの職員、精神保健福祉士、そして本人を交えた会議です。彼は話し合いの場で感情的になりやすく、高次脳機能障害から長い説明を理解するのが難しい状態でした。
私は通訳のような役割を担いました。結論を先に伝え、その後に理由を短く説明する。彼のペースに合わせて言葉を噛み砕く。その積み重ねで、少しずつ合意が形成されていきました。
最初は施設入所を勧めていた保健師さんたちも、最終的には「本人の意思を尊重しよう」と言ってくれました。
問題はヘルパー事業所が見つからないことでした。行政が動いてくれ、ケアマネさんが来てくれました。私は事前にケアマネさんに彼の人となりと接し方のポイントを伝えておきました。ケアマネさんは引き受けてくれました。
ヘルパー事業所に対しては、「取り扱い説明書」を作りました。どのような話し方が伝わるか。何がトリガーになるか。発達の特性や高次脳機能障害がどう影響しているか。現場のヘルパーさんが困らないように、病態と個別性を合わせて書きました。それが功を奏し、引き受けてもらうことができました。
誰もが無理だと思っていた在宅復帰が、実現しました。
退院の日、介護タクシーに乗り込む彼の顔は満面の笑みでした。がっちりと握手をしたことを、今も忘れられません。
この経験で感じたのは、精神科看護の面白さの正体です。それは「人と人の間に立ち、言葉と関係で道を開く仕事」だということです。薬で安定を図り、観察して医師につなぎ、本人の言葉を噛み砕き、地域の支援者へ橋渡しをする。医療と福祉の間、本人と社会の間——その真ん中に立つ仕事が、精神科看護だと思いました。
急性期にいたままだったら、この患者さんとここまで向き合うことはできなかったと思います。そしてあの在宅復帰も、なかったと思います。
ぬるま湯で、自分を取り戻した
精神科に来て気づいたことがあります。
急性期時代の自分は、壊れかけていました。体重が5kg落ち、血圧が上がり、眠れない夜が続いていました。それでも「忙しいからしょうがない」と思っていた。精神科に来て、バーンアウト寸前だったと初めて気づきました。
精神科で受け持つ患者さんの中に、適応障害やうつ病の方がいます。真面目で責任感が強く、誰にも頼れないまま限界を超えてしまった方たちです。その姿を見るたびに、あの頃の自分が重なりました。
ぬるま湯に浸かって、心に余裕ができました。家族との時間を取り戻しました。そしてその余裕が、患者さんの心とじっくり向き合う力になりました。
熱い湯はすぐ温まりますが、すぐ出たくなります。ぬるい湯には、じっとじっくり浸かっていられます。
逃げ込んだと思っていたぬるま湯は、自分を取り戻す場所でした。
精神科への転職は、逃げじゃなかった。今は、そう思っています。
関連記事
精神科転職に関する記事は、こちらのページに不安の種類別でまとめています。