急性期看護師だった私が普通だと思っていたこと


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「急変がなかったから、今日は平和だった。」

急性期で働いていたころ、そう思っていました。

急変がない日が「平和」だということは、急変がある日が「日常」になっていたということです。いつから、そうなったのだろうと、今は思います。

この記事は、急性期で働いている、またはいたことがある看護師に読んでほしい記事です。転職を勧める記事ではありません。ただ、読み終えたあとに「もしかして」と思うことがあれば、それだけで十分です。

あの頃の口癖

急性期で働いていたころ、こんな言葉を口にしていました。

「今日は残業1時間だけ。やったー!」

「定時で帰れる!?奇跡!!」

「急変がなかったから、今日は平和だった」

「今日は人が多い」——実際はギリギリの人数でした。人がいないことが、前提になっていました。

「有給はみんな取れていない」——おかしいと思いながら、口にしていました。同調圧力というものは、じわじわと感覚を書き換えていきます。

「人が足りないのは仕方ない。どこも大変なんだから」——そうかもしれない。でも、だからといって自分が耐えなければならない理由にはなりません。あの頃は、そこまで考えが及びませんでした。

これらの言葉を、おかしいと思っていませんでした。むしろ、誇りに思っている部分がありました。人の命を守る職種だから、これくらいは当然だ。専門職としての使命感が、しんどさを上書きしていました。

休憩中も、休憩していなかった

休憩時間はありました。でも、休憩室ではなくナースステーションで記録をしていることがほとんどでした。患者さんが来れば対応する。電話が鳴れば出る。それが休憩中であっても、です。

労働基準法的に考えれば、おかしな話です。でも当時は、みんなそうしていました。だから普通だと思っていました。

精神科に転職してから、休憩と業務時間がはっきりと分かれていることに、最初は戸惑いました。別の場所で、静かに休める。それが当たり前のことだと、頭ではわかっていても、体がしばらく慣れませんでした。

エンゼルケアの30分後に、食事をしていた

患者さんが亡くなりました。エンゼルケアをしました。その30分後、私は食事をしていました。

または、急変対応が終わった30分後に、別の患者さんの処置をしていました。

それをプロ意識だと思っていました。切り替えができることが、看護師としての能力だと思っていました。

でも今は、少し違う見方をしています。

悲しんでいる暇がなかっただけではないか、と。業務に追われて、感情を後回しにし続けた結果、感情そのものが出てこなくなっていただけではないか、と。

看護って、ケアって、本来そういうものなのだろうか。そんな問いが、当時の自分の中にも、小さくありました。介護福祉士としての経験があるからこそ、よけいにそのような葛藤が芽生えてきたのかもしれません。このままこの仕事を続けていると、本来の人間らしい感覚が少しずつ遠ざかっていくのではないか。子どもの親としてこれでいいのか。そんな不安を、誰にも言えないまま抱えていました。

家に帰っても、仕事が終わっていなかった

携帯が鳴ると、反射的に職場からだと思っていました。実際には子どもの保育園からだったりするのに、体が先に反応していました。

テレビで医療ドラマが始まると、チャンネルを変えたくなりました。以前は好きだったはずのジャンルなのに、見たくなくなっていました。妻は好きなので、言い出せませんでした。画面を眺めながら食べる夕食は、砂をかむような味がしました。

夢の中で記録を書いていたこともあります。休日に、ふと患者さんの顔が浮かんで、あの人は今どうしているだろうと気になることもありました。

オフの時間が、本当の意味でオフになっていませんでした。でもそれも、当時は「仕事熱心なだけ」だと思っていました。

子どもと遊ぶ公園から、職場が見えた

子どもが気に入っていた公園がありました。広くて、遊具も多い。子どもにとっては最高の場所でした。

でも私には、一つだけ困ったことがありました。その公園から、以前の職場が見えたのです。

子どもと遊んでいると、ふと視界に病院の建物が入ってきます。それだけで、胸がざわつきました。頭の中で、職場の映像が半強制的に始まる感じ。考えまいとしても、止められませんでした。

別の公園にしようと提案しましたが、子どもは聞いてくれませんでした。滑り台を滑りながら笑う子どもの顔と、胸の中のざわつき。その対比が、しんどかったと今は思います。当時は「なんかしんどいな」くらいの感覚でした。おかしいとは、思っていませんでした。

夜勤明けに、急変のあとでも買い物に行っていた

夜勤明けの帰り道に、スーパーに寄っていました。チラシを確認して、安い商品を探して、はしごをすることもありました。ふらふらになりながら。

急変対応があった夜勤明けでも、看取りがあった夜勤明けでも、同じようにしていました。

患者さんが非常に苦しんでいる場面を経験した数時間後に、特売のたまごをカゴに入れている。今思えば、ずいぶんなギャップです。でも当時は、それが日常でした。生活は続いていくので、買い物はしなければなりません。そこに違和感はありませんでした。

精神科に来て、気づいたこと

精神科に転職してから、少しずつ気づいていったことがあります。

急性期で失っていたけれど、気づいていなかったもの。気づく余裕すらなかったもの。

ゆっくりと昼食を食べられる感覚。休日に仕事のことを考えることなく、本当に忘れられる感覚。他者に優しく接する余裕。家族との時間。自分の健康。

あの公園に、今も子どもと行きます。遊具で遊ぶ子どもの隣で、ふと目をやると、以前の職場の建物が見えます。でも今は、動悸はしません。「あそこは今日も大変なんだろうな」と思っていると、子どもが私を呼びます。遊びに戻ります。心から笑えます。

「あの”普通”って、誰が決めてたんだろう。」

精神科に来てから、そう思うことが増えました。

おわりに

残業1時間で喜んでいた自分。エンゼルケアの30分後に食事をしていた自分。夢の中で記録を書いていた自分。

おかしいとは、思っていませんでした。周りも同じでしたし、それが当たり前の景色でした。

でも今は思います。

患者さんは急変しなくてよかったかもしれない。でも私は、常に急変状態だったのかもしれません。

この記事を読んで、もしかして、と思うことがあったなら。それだけで十分です。

一人で抱え込まなくていい。話すだけでも、気持ちが整理されることがあります。

もし、誰に話せばいいかわからないなら、転職するかどうかは別にして、看護師の事情をわかっている人に聞いてもらう方法もあります。

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