「休みなのに、休めない」急性期看護師だった頃の"休日"の正体
急性期で働いていた頃、私にとって「休み」は、文字通りの休みではありませんでした。
この記事は、急性期で働いている、またはいたことがある看護師に読んでほしい記事です。特に、夜勤と育児を両立している方には、何か重なるものがあるかもしれません。
休みの前日、何を思っていたか
「明日は休みだ」と思うと、一応は嬉しかったです。
でも、本当はそれよりも大きいものがありました。仕事(今日)→休み(明日)→仕事(あさって)。常に、明後日の仕事が視界の端にありました。本当なら明日の休みが大きく見えるはずなのに、明後日の仕事の方が大きく見えていたのです。
「明日は休み」という嬉しさよりも、「今日を乗り切れば休みだ」という、今日のしんどさをどう乗り越えるかの方が、頭の中の主役でした。
仕事の終わりに申し送りをしながらも、「漏れはないかな。これで大丈夫かな」と考えていました。休みを心から楽しみにする、というより、今日という日を乗り切ったという安堵の方が強かったのだと思います。
最後の勤務で、スパートしてしまう
「明日は休みだ」と思うと、不思議なことが起こりました。
休めるとわかっているからこそ、最後の勤務を頑張りすぎてしまうのです。長距離走の最後に、ゴールが見えた瞬間に思いっきりスパートしてしまう、あの感じです。
その結果、よけいに疲れて、休みの初日は寝て終わることが多くありました。
準夜勤明けの休み
準夜勤の定時は深夜1時でした。でも記録をしていると、2時か3時になります。そこから家に帰って、寝るのは早くても4時くらい。
目が冴えて、気づけば5時。「いけない、早く寝ないと」と焦っているうちに6時。そして窓の外が白んでくるのです。「ああ、夜が明けた」と思いながら、子どもの登園の準備をします。
送り出した後、その流れで家事を少しやり、体が限界を迎えて眠りにつきます。でも明るいと熟睡はできず、不完全な睡眠のまま、子どものお迎えの時間がやってきます。それまでに夕食の準備もある程度しておきたい。結局、十分には寝られていません。
準夜勤明けの休みが、一番つらかったです。休みなのに「つらい」というのは変な話だと、自分でも思います。でも、本当にそうでした。「準夜明けの休みは、“休み”っていうけど”休みじゃない”」——よくそう思っていました。
休日の使い方は、「回復」だった
休日にやろうと思っていたことは、いつも半分くらいしかできませんでした。それくらい、心身ともに消耗していたのだと思います。
子どもと遊ぶことは、私にとって癒しでした。でも同時に、小さな子どもの無尽蔵なエネルギーに、また消耗していたのも事実です。子育てをしながらだったので、本当に休まる時間は少なかったです。
「独身だったら、何も気にせずに寝られるのに」と思ったことが、何度もありました。そのたびに、いや、そんなことを考えてはいけない、自分は幸せなんだ、と思い込むようにしていました。
ある日、日勤終わりに、ベテランの看護師さんと話す機会がありました。「私はこれから公園に行ってウォーキングして、明日は新しくできたお店に行ってみようと思うの」と、その方は言いました。私は「今日はこんなにハードだったのに、まだウォーキングする力が残っているんですか」と、内心で絶望していました。このくらいでないと、やっていけないんだ。私には、ついていけない。
休みの翌日、同期と話したこともあります。「最近、パーソナルジムに通い始めたんです」と聞いて、私は「いいなぁ」と思いました。私も昔は、ジムに行ったり、好きな本を読んだりしていました。でも今は無理です。うらやましいな、と思った直後、いやいや、うらやましいなんて考えてはいけない、子どもがいて幸せなんだ、とまた思い直しました。
私だけが、頑張っていたわけではなかった
ここまでの話だと、私だけが大変だったように読めるかもしれません。でも、それは違います。
夜勤明けで体が動かない私の代わりに、家のことのメインは妻がしてくれていました。子どもを送るのも、妻の仕事でした。私と妻の比率で言えば、3対7くらいだったと思います。
妻のおかげで、私は看護師になれました。そして、妻のおかげで、私は今も看護師でいることができています。
休めていなかったのは、私だけではありませんでした。
気づいていなかったこと
「今日は何もしない日にしよう」と決められる余地は、ありませんでした。仕事、家族、それ以外のことに時間を使った記憶がありません。
「うらやましい」と思ったことも、「ついていけない」と感じたことも、誰かに話したことはありませんでした。完全に、自分の中で封印していました。もし話していたら、心のバランスが崩れて、何かが明らかになって、それまでの生活を続けることが難しくなっていたかもしれません。
“私”というコップの中に、「不満」や「イライラ」という液体を、ずっと注がれ続けていた感覚です。あと少しでいっぱいになって、こぼれていたかもしれません。あのときは、本当にギリギリだったと思います。
精神科に来て、休みはどう変わったか
家のドアを開けると、子どもの第一声は「あーそーぼー!」でした。
急性期にいた頃は、「ちょっと待って、帰ってきたばかりだから少し休ませて、お願いだから」と答えていました。
精神科に変わってからは、「よーし、何して遊ぶ?」と答えられるようになりました。体力の余り方が、違うのだと思います。
準夜勤明けでも、定時に帰ることができます。体のリズムが崩れることは今も変わりませんが、夜が明けるまでには必ず眠れています。職場のことを考えることも、ほとんどありません。準夜勤明けの休みは、「休みじゃない」ではなく、それなりに休みになっています。
急性期にいた頃は、準夜勤の前には必ず眠っていました。ある程度の睡眠と休養を取っていないと、勤務のハードさに耐えられなかったからです。今は、準夜勤の前でも眠らずに、家の窓掃除をしたりしています。その分、できることが増えて、私生活が充実しているのを感じます。
さいごに
「休み」という言葉の意味が、急性期にいた頃と今では違います。
あの頃の私は、休みの日も、ずっと”私”というコップの中に、「不満」や「イライラ」を注がれ続けていました。あと少しでこぼれることにも、気づいていませんでした。
あなたのコップは、今どれくらいですか。